第1分科会 「豊かな人間性を育む心の教育」
第1分科会(心の教育・道徳教育)
「豊かな人間性を育む心の教育」
~震災に向き合って心を育てる教育の実践~
第42回栃教協夏期研修会より
資料提供:栃教協教研推進委員会教員部
塩谷町立玉生小学校教諭 阿久井克清
岩船町立岩船中学校教諭 森口 尚志
Ⅰ はじめに
平成18年度に改正された新教育基本法では、これまでの教育基本法の普遍的な理念を継承しつつ、その前文において「公共の精神」の尊重や、「豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成」、「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育」の推進等を規定している。教育基本法の改正を受けて、学校教育法も一部改正され、各学校段階の目的・目標規定が定められるとともに、新たに義務教育の目標等が定められた。
昨年度より小学校で、今年度より中学校で完全実施となった新学習指導要領では、新教育基本法の方針と学校教育法の一部改正の内容が大きく反映されている。これまでの学習指導要領が基本としてきた「生きる力」の育成を理念として継承してはいるものの、新学習指導要領では、子どもたちの学習状況や生活状況をふまえ、知識基盤社会のなかでの「生きる力」として、①基礎的な知識・技能を習得し、それらを活用して自ら考え、判断し、表現することにより、さまざまな問題に積極的に対応し解決する力である「確かな学力」、②自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの「豊かな人間性」、③たくましく生きるための「健康な体力」を3つの要素としている。教育内容でも、伝統や文化に関する教育の充実や道徳教育の充実、体験活動の充実などが重要事項として改善された。
特に、道徳教育については、「道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり、道徳の時間はもとより、各教科、総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて、生徒の発達段階を考慮して、適切な指導を行わなければならない。」ものである。さらに、「教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、…」とあり、小学校では「自己の生き方について考え」を深めることが加えられ、中学校においては「道徳的価値及び人間としての生き方」から、「道徳的価値及びそれに基づいた人間としての生き方」へと、両者の関係が明確に示された。
そんな中、昨年の3月11日、未曾有の大災害をもたらした東日本大震災が発生した。世界中が大地震や津波、原発事故の恐怖を思い知らされたわけだが、世界中から多くの救援や励まし、善意が寄せられるとともに、日本人の暴動などを起こさない実直さや、「絆」を合い言葉に全国民が復興に向けて努力する姿などが見直された。
しかし、この大震災により多くの尊い命が失われ此り、住み慣れた土地から遠くれなければならない人々が多数出ることになったことは忘れてはならなし、教訓として後世に語り継がねばならない。本県は震災の中心地ではないが、少なからず被害があり、中心地で被災された方々の受入もしているなど、震災を経験した被災県としてこの教訓を伝える責務を感じずにはいられない。
そこで、本県の小学校で実践された「女川町の小学生との交流活動」及び、中学校で実践された「震災の教訓を生かした安全なまちづくり構想の授業」という、いずれも道徳教育との関連を図り、豊かな人間性を育む心の教育を目指した二つの事例を紹介することで、被災された方々のご不幸に少しでも報いることができれば、また、研究主題に迫ることができれば幸いである。
Ⅱ テーマ
「豊かな人間性を育む心の教育
~震災に向き合って心を育てる教育の実践~」
提案者 栃教協教研推進委員会教員部
Ⅲ 主題設定の理由
2011年3月11日午後2時46分。すべての日本人にとって忘れられない時である。東日本大震災では、東北地方を中心に未曾有の災害をもたらし、人々の生活は一変した。私たちの住む栃木県においても、地震により校舎が使用できなくなったり、体育館が避難所になったり、被災した児童を受け入れたりする学校もあるなど学校生活に少なからず変化をもたらした。
「今しか学べないことがある。今だからこそしなければならない教育がある。」
かつてない災害を経験した私たちは、この悲劇を忘れずに、こんな時にこそしなければならない教育を地道に継続して行っていくことが責務であると考えた。災害に負けることなく、強くたくましく生きていく力を身に付け、また、相手の立場を考え行動できる児童・生徒の育成を目指し、以下のような仮説を設定した。
Ⅳ 研究の仮説
日本人の心と心の結びつきを題材にすることで、「豊かな人間性を育む心の教育」が実践できるのではないかと考えた。体験活動を生かした授業、さらには、道徳、総合的な学習の時間、特別活動、社会科の授業を関連づけた実践こそが、全日教連のテーマにつながると考えた。
V 研究の実際
〈小学校における取組〉
~女川町(おながわ)の小学生との交流を通して~
栃木県塩谷町立玉生小学校 阿久井克清
1 はじめに
本校(玉生(たまにゅう)小学校)のある塩谷町は、平成9年度より、宮城県女川町と「海の子・山の子交流事業」(トム・ソーヤ’Sキャンプ)を実施してきた。この事業は、海のない塩谷町の子供たちを海のある町(女川町)に連れて行き、そこの子供たちとの交流会やキャンプといった体験をしながら、自立心や好奇心を高め、仲間づくりを通して豊かな心を育てることを目的として、14年間実施されてきた。
トム・ソーヤ’SキャンプIN女川(平成21年度)
「女川町の海岸で楽しく交流する子供たち」
しかしながら、平成23年3月11日に発生した東日本大震災により、女川町は壊滅的な被害を受け、平成23年度の本事業はやむを得ず中止することとなった。予定では、塩谷町の子供たちが女川町を訪れるはずであった。
今まで行われてきた形での交流は実現できなくなってしまったが、「心の交流」を継続するための活動を町や学校で行うこととなった。
これらの交流活動(学級活動、総合的な学習の時間)や道徳の授業を通して、「豊かな人間性を育む心の教育」を充実させようと研究を進めた。
本提案の位置づけ
道徳の時間
道徳的実践力の育成
道徳教育の要
⇄
学級活動、総合的な学習の時間
道徳的実践の場
本提案の中心内容
2 研究の実際
(1)交流活動
①「応援うちわ」の作製、贈呈(町としての取組)
塩谷町子ども会連合会・異世代交流サークル「えんがわ」と連携し、町内各育成会に呼びかけ、女川町の小学生約500分を作製目標にした「応援うちわ」を作製することとした。
塩谷町の子ども達が復興の願いを込めて作製したうちわ
◎ 贈呈式
日 時 平成23年7月6日(水)
会 場 塩谷町立玉生小学校
来訪者 塩谷町教育委員会事務局、学校教育課長
女川町教育委員会教育長、小学校長2名、事務局校2名
※この贈呈式の様子は、下野新聞に掲載された。
〈下野新聞の記事より〉(平成23年7月7日)
東日本大震災で被害を受けた宮城県女川町の小学生に「応援うちわ」を贈ろうと、町子ども会連合会と異世代交流サークル「えんがわ」などが同町全児童分のうちわを作製。6日、修学旅行の下見に町を訪れた同町の遠藤定治教育長らを玉生小に招き贈呈式が行われた。
町と女川町は1996年から「海の子山の子トム・ソーヤズキャンプ」として、小学5、6年生を対象に1年交代で派遣交流を続けてきた。しかし、今年は震災の影で見送りとなった。
「えんがわ」は、小学生同士の「心の交流」は継続させようと提案。子ども会連合会と協議し、同町の全児童に暑い夏を乗り切ってもらおうとうちわを贈ることを決め、各育成会の協力で476個を作製した。
うちわには町内の児童が「心一つに」「みんなで応援しているよ」など励ましのメッセージやイラストを思い思いに書き込んだ。「早く復興してほしいとの思いを込めて絆の文字とウサギの絵を描きました」と玉生小6年の手塚奈津美さん。
贈呈式では、代表として同小6年生の斎藤なつみさんが「心のつながりを続けていけたらと思い、心を込めて応援うちわを作りました。このうちわを使い私たちのことも思い出してほしい」とあいさつ。遠藤教育長は「みなさんのうちわと女川を思う気持ちを町の小学生に届けます」とお礼を述べた。
贈呈式の様子(玉生小学校校長室)
②女川町と塩谷町の小学生の交流(学校としての取組)
◎女川第一小学校6年生との交流〈学級活動〉
※女川第一小学校の6年生が修学研修の際に、玉生小学校を訪問してくれた。
期 日 平成23年9月7日(水)
会 場 塩谷町立玉生小学校
参加者 女川町立女川第一小学校6年生
塩谷町立玉生小学校、船生(ふにゅう)小学校6年生
内 容 ・歓迎セレモニー
・会食
・交流活動………女川町の紹介(震災からこれまでの様子について)
塩谷町の紹介
ゲーム活動(名刺交換)
プレゼント贈呈 女川町から サンマ型のしおり
塩谷町から 千羽鶴
会食の様子
プレゼント(サンマのしおり)
〈歓迎の言葉〉
女川第一小学校のみなさん。遠いところおいでくださいましてありがとうございます。わたしたちは、みなさんとお会いできるのを楽しみに待っていました。
わたしは、昨年「トム・ソーヤ’Sキャンブ」の交流活動に参加しました。女川第一小学校のみなさんの中にも参加された人がいると思います。昼間は、川遊びや泥遊びなどのゲームを楽しみ、夜はキャンプファイヤーをしました。同じ部屋に泊まって、夜遅くまでたくさんお話をしました。とても楽しかったことが今でも心に残っています。今年も、また交流できてとてもうれしく思っています。
しかし、3月の震災以降、みなさんはとてもたいへんな思いをしてこられたと思います。震災でたいへんな被害を受けたことを知ってから、「今、姉妹都市である女川のみなさんのためにわたしたちにできることは何だろう。」と考えました。そして、まず全校生・全町民をあげて募金活動に取り組みました。でも、ほかにできることはないだろうかと日々考えています。
今回このように交流する機会があり、本当にうれしいです。せめて、今日がわたしたちにとってもみなさんにとっても思い出深い一日となればいいなと思います。
一日でも早くもとの生活にもどれることを願っています。わたしたちは女川のみなさんをずっと応援しています。
女川第一小学校6年生の発表
玉生小学校3、4年生によるダンス
ゲーム活動(名刺交換)
プレゼント贈呈
◎手紙を通しての交流〈総合的な学習の時間〉
※9月13日、訪問してくれたお礼と励ましの意味を込めて、女川第一小学校の6年生に手紙を送った。
〈手紙の内容(一部抜粋)〉
・ぼくは、地震や津波のことで元気をなくしていると思っていました。でも、みんな元気ですごいなと思いました。
・地震の後の津波の被害の写真を見て、今でも起きたことを受け入れることができません。わたしたちは、みなさんのために募金などできることはずっとやっていきたいと思います。
・会食のときは、女川小学校のみんな、先生方と給食の話や学校の話をしました。千羽鶴をプレゼントしました。ぼくたちの気持ちが伝わるといいなと思いました。
・すてきなサンマのしおり、大切に使います。
・女川第一小学校のみなさんは、わたしたちよりもつらい思いをしているのにとてもうれしそうな笑顔を見せてくれて、一人も泣かずに仲良くしてくださってありがとうございました。
※卒業を目前にした平成24年の1月に女川第一小学校のみなさんより、お礼の手紙が届いた。
〈1月に届いた手紙の内容(一部抜粋)〉
○担任の先生より
・明けましておめでとうございます。6年生のみなさん、そして、先生方、お元気ですか。
昨年9月には、修学研修の際に、お忙しい時期に交流会を開いていただき、本当にありがとうございました。玉生小、船生小のみなさんとの交流会は、子どもたちにとって本当に思い出に残る時間となりました。また、その後、みなさんの気持ちのこもったあたたかいメッセージも送っていただきました。
修学研修1日目の交流会後は、「星降る学校 くまの木」さんにお世話になり、一夜を過ごしました。2日目には、日光彫りの体験をしたり、東照宮を見学したり、日光江戸村で楽しく遊んだりしました。3日目は、東武ワールドスクウェアとりんどう湖ファミリー牧場に行き、栃木県での2泊3日を満喫することができました。みなさんとの交流会をはじめ、一つ一つの活動が本当に楽しく、忘れることのできない修学研修となったことに感謝いたします。
修学研修後、たくさんの方々に支えられ、励まされ、震災に負けずに例年とほぼ同様の教育活動を行うことができました。6年生のみなさん、本当にありがとうございました。これからは、お互い、卒業へ向けて、小学校生活6年間のまとめの時期となりますね。悔いの残らないように、一日一日を大切に過ごしていきましょう。
「感謝の気持ち」と「希望」と、そして「夢」を忘れずに頑張っていきましょう。
○6年生より
・女川町は今、前の女川町のように明るい町になるようにがんばっています。また、栃木に遊びに行ったときはいっしょに遊ぼうね。
・たくさんのお手紙ありがとうございました。修学研修では、美味しい給食を食べたことが一番の思い出です。今、女川では、二階建ての仮設住宅が完成して、三階建ても建設中です。女川町は少しずつ復興に向けて頑張っているので応接してください。
女川第一小学校の6年生から届いた手紙
(2)道徳の時間
① 主題名(ねらい)感謝の心 内容項目2-(5)
日々の生活が、人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し、それにこたえようとする心情を育てる。
② 資料名「地震で学んだこと」出典(文溪堂「6年生の道徳」)〈別紙〉
③ ねらいとする価値
人間は、互いに支え合って生きている。まったく一人だけで生活を営んでいるということはない。
しかし、少子化が進み、生活が豊かになった今日では、支えてもらっていることを感じ取りにくくなり、世話をしてもらうことを当たり前のことと受け取りがちで、世話をしてくれる人々に対する感謝の気持ちが薄らいでいる。
身の回りの人々の行為に目を向け、感謝する心を育てることは、人々の役に立つ生き方をしょうという気持ちを育てることにつながる。「助け合って生きている」と言うことに気付き、人々の支えに感謝して、自らそれにこたえようとする心情を育てたい。
④ 授業の流れ
学習活動(主な発問)
ア 3月11日、大きな地震が起きたとき、あなたは、どんなことを感じたり、考えたりしましたか。
イ お兄さんは、どんな気持ちで神戸にかけつけたと思いますか。
ウ もしあなたが、「明子さん」だったとしたら、お兄さんが帰るときどんな言葉をかけますか。
エ 地震などの災害によって困っている人や十分な生活ができない人に対して、あなたにできることはどんなことがありますか。
教師の支援・留意点
・資料の内容ができるだけ身近に感じられるように、地震のときの様子を思い起こさせる。
・困っている人の役に立ちたいというお兄さんの強い意志を押さえられるように、当時の交通網が混乱していたことを伝える。
・お兄さんに感謝し、支えてくれた人々の思いにこたえようと決意する明子に共感させる。
・女川第一小学校との交流を通して、感じたことや考えたことと関連させて、具体的に実行できることを考えさせる。
(発問アに対する児童の反応〉
・こわかった。
・びつくりした。
・家がたおれなかったか、すごく心配だった。
・家族は無事だろうか。
・家族に会いたい。
◆初めて体験した大きな地震に対する恐怖とともに、家族を心配する気持ちを多くの児童がもった。
〈発問エに対する児童の反応〉
・不足している物を送る。
・節電に協力する。
・募金に協力する。
・千羽鶴を送って、励ます。
・被災した地域の生産物(食品など)を買って、支援する。
・わたしたちが、元気に明るく、いつも被災地のことを考えて生活する。
・被災地の人と話をしたい。(話をすることで、不安な気持ちを和らげてあげたい。手紙を書いて励ます。元気づけてあげたい。)
3 実践の反省
被災地の小学生と直接的な交流ができたことは、本校の児童にとって、たいへん貴重な体験であった。特に、女川町の小学生の元気に明るく活動する姿や前向きな姿勢に深く感動した。本来ならば、こちらが勇気や希望を与えなくてはならない立場だと思うが、反対に「がんばらなくてはならない」という気持ちを抱いた。
道徳の時間では、交流活動を体験したことにより、「地震などの災害によって困っている人や十分な生活ができない人に対して、あなたにできることはどんなことがありますか」の問いに対し、物的な援助だけでなく、「話をしたい」「手紙を書いて励ましたい」などの素直な気持ちが表れたと思う。
4 終わりに
平成24年度は、「女川町の復興を最優先に」という考えのもとに、具体的な子ども達の交流活動は実施されない。しかしながら、多くの児童が「また、トム・ソーヤ’Sキャンプでをやってほしい」と願っているところである。
またいつの日か、海の子と山の子が集い、たくさんの笑顔が女川の海に戻ってくることを信じている。
いつの日か女川の海に子供たちの笑顔が戻ることを信じて!
〈別紙〉「地震で学んだこと」
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、兵庫県南部で地震が発生した。国内観測史上初めて震度7を記録したこの地震は、兵庫県を中心に大きな被害をもたらした。約25万戸の家がたおれ、30万人以上の人々が学校や公園などで避難生活を送った。また、4万人以上がけがをして、6千人以上の人々が亡くなった。
ドドーン!ガンッ!バリバリバリッ!
地震だ!
わたしはおどろいて目を覚まし、頭からふとんをかぶって体を縮めた。ゆれが収まると、一階からお父さんとお母さんのさけぶ声がした。
「明子、どこにおる!」
「だいじょうぶか!早く外に出よっ!」
暗やみの中、手さぐりで探し当てた上着とズボンは、何かの下じきになっていた。思い切り引っ張って、パジャマの上に着た。
家の中は、たおれた家具や本などでめちゃくちゃになっていた。お父さんとお母さんに助けてもらいながら、階下に下りて外に出た。
見慣れた町が変わり果てていた。電柱が折れ、家やへいがたおれて道をふさいでいる。わたしの家も、となりの家がたおれかかって、かたむいている。
あちこちから助けを求める声が聞こえた。わたしとお母さんは、先に小学校に避難することにして、お父さんは、声のする方に走って向かった。
ガスのにおいがする中、手で口をおさえて急いで歩いていると、東の空にほのおが見えた。親友の浩子ちゃんが住んでいる方角だ。だいじょうぶだろうか、と不安になった。
避難所になった学校の体育館は、避難してきた人でいっぱいだった。「あっこちゃん。」
名前を呼ばれてふり向くと、浩子ちゃんだった。
「あっこちゃんは、どうやったん。」
「だいじょうぶやったで。でも、となりのうちがたおれてきていて危ないねん。」
もっと話したかったけれど、二人とも胸がいっぱいで言葉が出てこなかった。
避難所での生活が始まった。夕方になって、食事が配られるという全校放送が流れた。わたしは、列に並んで待った。かけつけてきた大勢のボランティアの人々が、てきばきと食事を配っていた。初めての食事は、一枚のパンだった。
翌日、水道が止まっていたので、給水車が来て、水の配給が始まった。この水を、歯をみがいたり、顔を洗ったり、トイレに流したりするために、大切に使った。
毛布や衣類も配られた。毛布の中には、ボランティアの人々が被害の少なかった地域を回って、かき集めてくれたものもあったそうだ。その夜、わたしはその毛布にくるまってねた。
一週間ほどたっと、避難所で生活する人々も、食事の準備をする「朝食係」「夕食係」や、水が出ないトイレにプールの水をバケツで運ぶ「トイレ係」というように、仕事を分担して受け持つようになった。
そんなある日、わたしは、一人で小さな段ボール箱をいくつも積んで運んでいる大学生くらいのお兄さんを見かけた。
「手伝います。」
思わず声をかけると、お兄さんは笑顔で答えた。
「ありがとう。一つ持つてくれるかな。」
段ボール箱を運びながら、お兄さんと話をした。お兄さんの話し方が神戸や大阪の人とちがうので、どこから来たのか聞いてみたら、東北地方だという。地震のことをニュースで知って、やってきたのだそうだ。
仮設テントに着くと、お兄さんは、
「どうもありがとう。助かったよ。また何かあったらよろしくね。」
と言って、段ボール箱に入っていた救援物資の仕分けを始めた。テントでは、たくさんの人々が、額にあせをうかべて配給の準備をしていた。
わたしは、いてもたってもいられなくなった。それでわたしは、浩子ちゃんと相談して、お兄さんたちの手伝いをするようになった。
しばらくして、お兄さんが帰ることになった。わたしは、浩子ちゃんといっしょに、お兄さんを乗せた車が見えなくなるまで見送った。
浩子ちゃんが、ぽつりとつぶやいた。
「わたしたちも、何かやろうか。」
わたしは、大きくうなずいた。
「ポランティアの人たちがいなくても、がんばらなくちゃ。」
さっそく避難所にいた友達に声をかけて、「子供ボランティア隊」を作った。そして、避難所のごみ拾いをしたり、小さな子供の遊び相手になったりした。
一人暮らしのお年寄りや、けがや病気で体を動かせない人の代わりに配給を取りに行くこともした。配給の案内放送を聞きのがすと迷惑がかかるので、責任が重い。とても緊張する役目だった。
大変だったけれど、ボランティアをした後には、いつも気分がすっきりした。お兄さんたちも、こんな気持ちだったのだろうか。
わたしたちの町に、生活に、明るさがもどってきた。ボランティアの人々や、救援物資や募金などを送ってくれた大勢の人々が、わたしたちをはげまし、支えてくれたことを、わたしは決して忘れない。
〈中学校における取組〉
~「まちづくり」の構想に東日本大震災の教訓を生かして~
栃木県岩舟町立岩舟中学校 森口 尚志
1 研究の仮説を受けて
栃木県岩舟町では東日本大震災が起きたとき、学校の北側に位置する岩船山が大きく割れるという災害こそあったが、幸いにも被害を受けた家庭はほとんどなかった(資料①)。
そのため被災地の人々が力強く立ち上がっているようすを比較的近い距離で冷静に見聞きすることができる。こうした地域の特性を生かして、3年生社会科(公民的分野)で「震災に向き合う」授業を実践することで、「豊かな人間性を育む」ことができるのではないかと考えた。
2 学校課題との関連から
岩舟中学校は、昨年度、学校課題に「学びの共同体」のスタイルを取り入れて、学習の協同性を生かしながら学校教育目標に迫ろうとした。話合い活動を学習の多くの場面に取り入れて、学校づくり、学級づくり、人づくりを図ろうとしたものである。話合い活動が成立するためには、互いを尊重し合おうとする「豊かな人間性」が必要不可欠である。そのため、道徳の時間を要とした道徳教育を各教科や学活、総合学習でも充実させていくことが必要であると考えた(資料②)。そのような学習活動を効果的に実施するために、道徳の時間と教科学習等をリンクさせることを考えた。社会科で震災関連の内容を扱うことから、道徳の時間などでも震災関連の資料を扱うことができないかと考えた。
3 授業の構想
(1)社会科(公民的分野)の構想
本校は震災の被害を受けた家庭はほとんどなく、中学生という年齢から、ある程度の悲惨な状況を受け止められると思われる。そこで社会科では、「地方の政治と自治」の単元に、震災の教訓を生かして、「非常時に強い安心して暮らせるまちづくり」を考えようという発展課題を設けた(資料③)。一般に「まちづくり」というと、地域の活性化を図ろうとしたものが多いが、今回の授業では、「震災の教訓を生かす」という趣旨から、高齢者や子供に配慮した「まちづくり」を意識させて授業を実施した。
資料③単元名 地方の政治と自治(7時間扱い)
時数 内容 題名
1時間目 地方公共団体の行政のしくみ 「わたしたちと地方自治」
2時間目 地方財政のあり方 「地方分権と住民参加」
3時間目 地域づくりの意義 「市町村合併と地域づくり」
4~6時間目 地域づくりの方法(発展課題) 「岩舟のまちづくりを考えよう」
7時間目 単元のまとめ 「わたしたちと日本の政治」
〈発展課題のねらい〉
○地方自治の趣旨に則って、積極的に地域づくりに参加しょうとする態度※①をもっことができる。
○住みよいまちをつくることや非常時の備えなどについて、具体的なプランをより良く考える※②ことができる。
〇新聞等の資料鮑を読み取り、自分たちの課題に必要な部分を文章や図で活用することができる。
〇自分たちが暮らす地方公共団体(岩舟町)の行政、歴史、文化、自然などに関して、今までより広い知識と深い理解をもつことができる。
(補足)
※①…自分たちの住む地域に誇りをもち、将来の地域がより暮らしやすい町となるよう発展を願い、貢献しょうとする態度を育てたい。改正教育基本法でも、
「社会の形成に参画」できるようにさせることを教育の目標として掲げた(第二条)通りである。
※②…広島の復興計画(次頁4-(1)参照)や小山市「思川駅周辺地区まちづくり通信」を参考資料とした。①と関連して、単なる「産業の発展」とか、「人口の増加」を意識した計画性・実行性に乏しいまちづくりのプランを考えることは避けたい。
※③…下野新聞、朝日新聞「震災特集ののちゃんの自由研究」など
(2)道徳の時間の構想
社会科のねらいにせまるために、事前に、被災した人々の心情を理解し、自分たちが何らかの役に立とうとする前向きな心を育てておくことが肝要であり、そのためのベース(根っこ)となる道徳の授業も実践すべきと考えた。道徳の時間の資料とねらいとする道徳的価値については、岩舟町教師の会(道徳部会)や下都賀地区中教研(道徳部会)において提供されたものを用いることにした。二つの資料が提供されたが、今回の授業ではどちらを用いることが適切なのか、栃教協教育研究推進委員会教員部会(以下、「栃教協教研部会」)で検討した。
協議の結果、「家族愛4-(6)」をねらいとして、「頑張るぞ俺達家族!」(つなみ被災地のこども80人の作文集『文藝春秋8月
臨時増刊号』)(資料④)を資料に用いることにした。さらに栃教協教研部会で指導案も検討し、本校の第3学年担任に説明・協力
依頼し、全クラスで道徳の授業を実施した。
4 組織的な取組
(1)社会科の教材について
栃教協教研部会において、「震災の教訓を『まちづくり』に生かすという授業構想からすると、被災地の復興を考えることになるのではないか。その際には原爆が落とされた後の広島の復興という事例が参考になるのではないだろうか。」といった提案が出された。資料を探したところ、広島市の復興都市計画が市民から寄せられたという資料(資料⑤-広島市HPより)などがあり、まちづくりの参考資料として用いることができた。
資料⑤社会科資料(広島の復興計画)
(2)道徳の資料について………資料とねらいとする道徳的価値
幸いにも震災を扱う授業の提案を二人の方から頂くことができた。
ア「命を懸けた防災無線」(資料ア-(1)、(2)参照)
・平成23年8月8日、岩舟中学校において、岩舟町教師の会道徳部会研修会で、講師の小山城南小学校木村康子教諭から資料と指導案を提供して頂いた。資料は産経新聞の記事である。講師から「命を落としている」直接の資料だけに、扱いを慎重にすべきとの示唆があった。
・学習指導要領内容1-(2)「より高い目標を目指し、希望と勇気をもって着実にやり抜く強い意志をもつ」に基づいた主題である。
イ「頑張るぞ俺達家族!」(資料イ-(1)、(2)参照)
・平成23年9月ー5日、栃木南中学校田中由貴教諭が下都賀地区中教研道徳部会において道徳の研究授業を実践した。資料は、『文藝春秋8月臨時増刊号』「つなみ被災地のこども80人の作文集」から採っている。
・田中教諭の指導案は「自分と家族との関わり、家庭生活の在り方が人間としての生き方の基礎であることを十分に理解できるようにさせたい」としている(学習指導要領内容4-(6)「家族愛」)。
10月5日の栃教協教研部会において、「命を懸けた防災無線」と「頑張るぞ俺達家族!」のどちらの資料及び授業内容(ねらいとする道徳的価値など)が今回の授業実践に向いているかを検討し(資料⑥)、資料イを下記の理由で選択した。
(3)道徳の授業について………中心発問
どの場面で、どのような発問にすることで、ねらいとする道徳的価値にせまることができるのか、栃教協教研部会において提供して頂いた指導案を検討した。その結果、「俺」の気持ちを追い続けながら、避難所で家族全員がそろったときの「俺」の気持ちを考えることが生徒にとって考えやすいのではないかという結論に至り、中心発問を以下のように変更した(資料⑦)。
資料⑦〈道徳の時間の発問の流れ〉
1 走るのをやめてしまった母に「ふざけるな!」と怒鳴った量はどんな気持ちだったろう。
2 妹を見つけて、真っ暗な中で一夜を過ごした時、俺はどんな気持ちだったろう。
3 学校に迎えに来てくれた父に再会できた時、俺はどんな気持ちだったろう。
4(原案)避難所で8人そろった家族は、夜を徹してどんなことを話し合った』だろうか。
(部会案)避難所で、家族8人そろって一夜を過ごしているときの俺は、どんな気持ちだっただろう。
(4)総合的な学習の時間(総合学習)について
岩舟中学校第3学年では、学年体制で取り組んだ道徳と社会科の実践を生かし、学年全体で行う総合学習の後期の全体テーマを「岩舟町への提言」として、レポートを作成する学習を行った。各自のテーマで岩舟町の実態調査を行い、それに基づいて明るい岩舟町の将来をつくるために、どのようなことを行ったらよいか考えた。
5 授業の実際
(1)社会科の授業の実践
「学びの共同体」の授業を進めるということで、グループで話し合いながら、ワークシート(資料ウ、エ参照)に記入していくことを主な学習活動にした。
自分たちの身近な地域について、子供なりの自由な発想で、経済・福祉・環境などいろいろな角度から具体的に岩舟町のまちづくりについて考えることができた。そのため話合い活動も活発に意見を出しあい、ほとんどの子供たちが協力し合って楽しそうに課題に取り組むことができた。
(2)道徳の授業の実践
栃教協教研部会での話合いに基づいて指導略案(資料オ参照)やワークシート(資料イ-(2)参照)を作成した。
「頑張るぞ俺達家族!」の資料は、生徒と同世代の少年が書いた文章であり分かりやすく、切実感のある内容なので、生徒はしっかりと考えることができ、熱心に授業に取り組んでいた。
本音を正直に言うことが難しい年齢でありながら、優れた資料を扱ったことと効果的な授業展開が功を奏して、素直に家族の有り難さなどを答える生徒が多かった(資料カ参照)。
(3)総合的な学習の時間の実践
震災を教訓にして岩舟町の問題に対して前向きに取り組んだ(資料⑧)生徒が多かった。
選んだテーマは良かった(資料キ参照)が、資料として扱いやすいものが手に入りにくかったことなどから、充実した作品に仕上げられた生徒が予想よりも少なかった。
6実践の成果と課題
(1)成 果
道徳の実践の成果で、社会科や総合学習の授業は、高齢者や子供への配慮を忘れずに防災や公共施設の建設などの計画を考えることができた生徒は多かった。こうした学習が、さらに郷土への愛情を深め、実践的な力となることを信じたい。
また、これらの授業のペースとなる心情を育むための道徳の時間の実践も、3年生すべてのクラスで行われ、組織的・計画的な意義のある取組であったと思う。
今回、多くの方から資料や意見を提供して頂きながら本実践が作り上げられていった。研修会等の機会を与えて頂いたからであり、研修会等に参加することの大切さと楽しさを味わうことができたのも大きな一つの成果である。
(2)課 題
社会科では話合い活動や表現活動が多かったために、グループや個人の差が作品に大きく反映した。丁寧な学習支援や学習環境づくりが一層必要であろう。また、ワークシートの「まちづくり」のプラニングに切実感をもたせようとして費用の予算を立てる学習を試みたが、細かすぎて時間がかかり過ぎてしまつた。そうした理由などから、生徒は多くの資料を十分に使いこなすことができず、作業の際に用いることができない生徒が目立った。資料活用の能力の育成や単元計画の再検討が必要である。
道徳や総合学習なども、多くの方々の協力を得て作り上げた実践であるが、これを今回だけのものにせず、改善点を修正してより一層効果的な学習を繰り広げていくようにすることが最大の課題である。
資料ア-(1)
〈命をかけた防災無線〉(産経新聞改稿)
今回の津波で、1万7千人の人口のうち、8千人もの行方不明者が出た宮城県南三陸町では、大きな揺れの後にくる津波の襲来を予測して、高台への避難をひたすら呼びかけ続けた一人の若い女性がいました。
町役場の防災放送の担当職員だった遠藤未希さん(24歳)です。彼女は、昨年7月に結婚したばかりで、この秋に披露宴を挙げることを楽しみにしていた町役場の職員でした。勤続4年目の昨年4月、危機管理課に配属されました。介護の仕事に就くことを考えていましたが、両親の希望を聞き入れ、町職員の仕事を選びました。
「6メートルの津波が来ます。高台へ避してください。」
防災庁舎の2階の部屋から流される、冷静で落ち着いた彼女の声は、大地震の大混乱の中でも人々があわてないように、一語一語はっきり分かるようにていねいに何度も何度も繰り返し呼び掛けられました。
やがて、予想をはるかに超えた大津波が南三陸町を襲い、未希さんが放送を続けていた防災庁舎も大津波に飲みこまれ、庁舎に残っていた職員と一緒に3階屋上部分まで押し流されてしまいました。後に、未希さんの母親は、「(大津波にわれて)放送が途中で途切れた。」と避難した知人から聞かされました。最後の方は声が震えていたといいます。
彼女は、襲いくる津波の恐怖と闘いながら、最後の最後まで町民の命を救うために力を尽くしたのです。
そして、大津波に飲み込まれてしまった未希さんは、他の20人の職員らとともに、そのまま行方不明になってしまいましたが、その後、捜索隊の懸命な捜索の結果、震災後2か月近くたって、沖合の海で遺体となって発見されました。
彼女の必死な呼びかけを聞しいて高台へ逃げて助かった町民たちは、
「防災無線がなかったら、逃げていなかった。」
「あの声ははっきり覚えている。あれがなかったら、もっとたくさんの人が亡くなっていた。」
「自分の命と引きかえに町民を助けた。天使の声だと思っています。」
と、町民のために最後まで責任を全うした彼女の声を、「天使の声」と呼んで、彼女の責任感の強さとその勇気ある行動に心から感謝しました。
このようにして、彼女は自分の命と引き換えに、多くの町民の命を救いました。それは、彼女の責任感の強さと、町民を思いやる優しさが成し遂げた奇跡です。だからこそ、未希さんの「天使の声」は、今もなお復を目指す町民の心深くに留まり、生きる勇気を与えているのです。
資料ア-(2)
道徳ワークシート〈命を懸けた防災無線〉
1 介護の仕事に就くことを考えたが、両親の希望を聞き入れ、町役場に勤めることを選んだ未希さんは、どんなことを思ったでしょう。
2 6メートル強の大津波が襲ってくることが分かり、防災無線を放送することになった未希さんは、どんなことを思っていたでしょう。
3「避難してください」という防災無線を聞いた町の人々はどんなことを思ったでしょう。
4 迫りくる大津波を目の前にしながら、命の限り叫び続けた未希さんは、どんなことを思っていたでしょう。
5 自分の立てた目標をめざし、役割や責任を進んで果たそうと頑張り抜いたことはありますか。それはどんなことですか。その際、どんな気持ちになりましたか。
☆ 今日の道徳の授業の感想を書きましょう。
Ⅵ 成果と課題
1 成果
(1)東日本大震災を教訓として、体験学習と道徳、社会科や総合的な学習の時間と道徳の関連が図られ、豊かな人間性を育むことができた。
(2)被災地の小学生との直接体験となる交流活動や被災地の実体験を扱った資料を扱うことで、子供たちの心に深くしみ込んだ授業を実践することができた。
(3)個人の研究としてだけではなく、学校全体さらに地区の研究会などで研究を進めることができ、今後の研究・実践につながるものとなった。
2 課題
(1)町主催の取組を学校主体の取組へと、また、学年の取組を学校へ、さらに学校から町全体への取組へと広げ継続していきたい。
(2)東日本大震災を題材として扱うことは、まだまだ生々しくてもう少し落ち着いてから扱いたいという慎重論もある一方、多くの犠牲を無駄にしないためにもこの教訓を風化させてはならないという使命論もある。地域や学校、学級の実態に応じて柔軟に扱う必要がある。
Ⅶ おわりに
本教員部は、県内各地区より年毎に選出された14名の部員からなる小さな研究組織であるため、部員だけでの研究では限界がある。幸いにも、今回の玉生小学校の実践では、塩谷町と女川町の町主体による交流事業として学校全体で取り組んでいただき、また、岩舟中学校では森口部員の呼びかけで社会科・道徳・総合的な学習の時間において3学年全クラスで同じ授業を実施していただくなどの協力が得られ、本研究資料をまとめることができた。おかげで、前述したような研究成果を挙げることができたものと思う。
しかし、今回の研究は、研究期間も短く、事例を提供していただいた二つの学校の実践のみに依るところが大きい。教員部としてこの震災をどう捉え、どのように扱い、どのような価値に導いていくことがよいのかなどの検討もまだまだ不十分である。また、研究の課題にも述べたように、先の大震災を直接題材としてよいのか、或いは、どの程度に扱えばよいのか。また、県内の他の小・中学校でも、被災地の方々との交流や震災の教訓を生かした事例などがあるのではないか。など、検討したり、情報収集したりと、やらなければならないことは多い。
この全日教連教研大会で皆様からいただいた忌憚のないご意見やご感想をもとに、教員部として今後の研究の方向性などについてさらに検討を重ね、各学校において真に役に立つ、有益な研究を実践していけるよう、努力していきたいと考えている。
結びに、本研究に快くご協力いただいた玉生小学校や岩舟中学校の先生方及び関係各位に深く感謝を申し上げ、おわりのあいさつに代えたいと思う。
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掲載日:2013年1月20日|道徳教育